年の夜(トゥシヌユル:大晦日)

師走も暮れに近づくと、各家庭では1年の家事の締めくくりと正月準備にせわしくなります。
今回は、沖縄の大晦日についてご説明をさせていただきます。

豚の泣く日

沖縄の正月は豚肉正月と言われるほどに豚を使った料理が多いのですが、昭和の初め頃までは、12/27,28頃になると、豚殺し(ウァークルシ)といって新年のご馳走用に正月豚が各家庭で屠殺され、喚き声が村中に響いていました。

豚は、普段粗食に甘んじている庶民にとって貴重なタンパク質供給源であり、また大変なご馳走として、折目(ウィミ)、節日(シチビ)などの家族や生活に密着した年中行事でも儀礼の食品として欠かさず供されていました。

年の夜の行事にも必ずといっていいほどソーキ骨のお汁が料理され、祖霊に供えられます。

豚と人間の関りは古く、史料に表れ始めるのは15世紀頃からですが、1534年に来琉した陳侃(ちんかん)の「使琉球録」にも豚について触れており、吾哇(ヲワ)と記されています。

豚のことを方言で「ウァー」と言いますのでそれと何らかの関係がありそうですが、伊波普猷は「南島方言史考」の中で、ウァーは明らかに中国語音で、福建語の仔(ワー:子豚)が語源であると推定しています。

中国の風習と同じように沖縄でも豚肉が儀礼の食品に欠かせないものであること、品種が主に広東豚であったこと、名称が前に述べたように中国語源であることなどを考えてみた場合、その歴史は中国の影響を抜きにしては考えられないようです。

また豚は昔から台風や干ばつなどの厳しい自然条件に絶えず悩まされてきた沖縄の人々にとって、貴重な動物性タンパク源でもありました。

貧しい人々の暮らしは、豚を十二分に活用して料理することを自然に学びとり、肉ばかりでなく、骨、内臓、脚、耳、血液など、鳴き声以外は余すところなく上手に使いこなしました。

広範にある豚肉料理

豚をこれほどまでに無駄なく、合理的に調理することのできるのは、沖縄の人々だけではないかと思うほどです。

調理法も飯物や汁物をはじめ、煮物、炒め物、蒸し物、和え物など実に広い範囲にわたっており、豚飯(トンファン)、ソーキ汁、ティビチ、中身の吸物、イナムドゥチ、ラフテー、味噌煮豚、血イリチー、ミヌダル、耳皮刺身など、挙げきれない程です。

これらは全て祖先の生活の知恵が生み出した郷土料理であり、沖縄の気候、風土や人々の味覚を十分に生かした琉球料理の一部になっています。

このように、古くから人々の食卓にのせられてきた豚は、年の夜(大晦日)にもソーキ汁やティビチなどの汁物にされて食されました。沖縄の折目や節日の料理は、文字通り豚に明け、豚に暮れたようです。

年の夜までには、正月豚、御三物(ウミチムン:火の神)の清め、家の大掃除、正月飾りの準備、晴れ着の新調など、衣食住の準備を全て整え身辺を清浄して、新年を迎えました。 現在は「沖縄そば」での年越しも多くなりましたが、行事食としては「ソーキ骨のお汁」が供されます。

レシピ (「琉球料理のきほん 伝えよう沖縄の食文化」より)

ソーキ骨のお汁 | 松本嘉代子監修 琉球料理のきほん

琉球料理は、地域の風土に合わせた独自性と、医食同源に基づいた思想が特徴の料理です。オキハムは、沖縄の料理文化を次代に伝えるための、保存と普及に努めています。

沖縄そば | 松本嘉代子監修 琉球料理のきほん

琉球料理は、地域の風土に合わせた独自性と、医食同源に基づいた思想が特徴の料理です。オキハムは、沖縄の料理文化を次代に伝えるための、保存と普及に努めています。