沖縄のお正月

今回は、沖縄のお正月についてご説明をさせていただきます。

実は沖縄には、新正月(毎年1月1日)、旧正月(旧暦の1月1日で2025年は1月29日)、十六日祭(あの世の正月のことで、旧暦の1月16日で2025年は2月13日)と3回の正月があります。

正月

イナムドゥチ
イナムドゥチ

新正月と旧正月

かつて沖縄の正月は、旧正月でした。しかし、1879年の廃藩置県以降は、日本政府の同化政策により社会全体が本土化していき、また琉球政府時代における新生活運動の普及によって、現在ではほとんどの家庭が新正月を祝うようになりました。それでも糸満市など、漁業が盛んな地域ではなお旧正月が主流であり、少数派とはいえ旧正月がなくなることはありません。

時代の流れと共に、新正月は沖縄の年中行事として定着してきましたが、やはり昔ながらの豚肉料理は、新旧どちらの正月からも消え去ることはないようです。

若水(わかみず)

元旦の早朝に子供たちが拝所の井戸から汲んできた水のことを「若水」と言います。若水には人を若返らせる霊力があると信じられていたので、これで手足を洗い清めたり、「御水撫で(ウビナディ)」をしたりして清浄な気持ちで新年を迎えました。ウビナディとは、若水につけた中指で額を3回撫でて健康を願う儀式です。一般的に、若水を汲むのは男の子の役目でした。

おせち

おせち・雑煮・屠蘇(とそ)は、日本の歴史と伝統のある行事料理です。おせちは「御節」と書きますが、元々は「御節供」が略されたもので、節供とは節日(せちにち:沖縄の方言では「シチビ」とも言います)の供え物を意味します。

つまり、おせちとは節日ごとに供えられる食べ物のことなのです。

1月7日の七草粥、3月3日のよもぎ餅、5月5日のちまきやかしわ餅なども意味していましたが、時代の移り変わりとともに正月の食べ物だけそう呼ぶようになりました。今では主に正月の重詰料理を指すようになりました。

七日の節供(ナンカヌスク)

本土では正月七日に七草粥といって、春の七草を粥に入れて食べる習慣があります。これは平安時代の頃に正月初めの子の日に春の七草を朝廷に献納したことから始まったいわれがありますが、元は中国の六朝時代に正月7日に7種類の菜で粥を作った風習が日本に伝わったもののようです。

これが沖縄に伝わり、シマナー(高菜)・ンスナバー(不断草)・デークニバー(大根の葉)・ビラ(ねぎ)・フーチバー(よもぎ)など沖縄で採れる季節の野菜や野草でジューシー(雑炊)を作り、仏壇や火の神(ヒヌカン)に供えて無病息災を祈る七日の節供(ナンカヌスク)となりました。「菜雑炊(ナージューシー)」とも言います。

沖縄は本土のように季節の変化がはっきりしておらず、四季折々の野菜や野草に恵まれていません。とはいえ、郷土の七草粥の味はまた独特のもので、正月料理の後にいただく白粥と青菜の味はさっぱりしていて、ごちそう疲れの胃には最適な料理と言えます。

また奄美地方では、特に7歳の子が近所の7軒の家からもらった七草粥を食べると、運に恵まれ病気にもかからず無事に育つとされていました。

沖縄には本土のような雑煮を食べる習慣がありません。その代わりの汁物として、豚のアバラ骨をつかった「ソーキ骨のお汁」、豚の内臓をきれいに処理してから具として用いる「中身の吸物」、具だくさんで白味噌仕立ての「イナムドゥチ」のどれか1つを作ります。

今回は、イナムドゥチをご紹介します。

レシピ (「琉球料理のきほん 伝えよう沖縄の食文化」より)

イナムドゥチ | 松本嘉代子監修 琉球料理のきほん

琉球料理は、地域の風土に合わせた独自性と、医食同源に基づいた思想が特徴の料理です。オキハムは、沖縄の料理文化を次代に伝えるための、保存と普及に努めています。